シュークリームの歴史

シュークリームはイタリア生まれ、フランス育ち。その誕生から日本上陸、発展まで、シュークリームの歴史を紹介します。

◆ 起源、歴史

ふくれた形になるので、誰かが最初から計算して作ったのではなく、偶然できたのもと考えられているようで、発祥地がどこであったかはなぞのままである。小麦粉を水で溶いて生地を作り、それを揚げたり、焼いたりするものは世界中にあるがヨーロパ周辺の話をする。

シュー生地はもったりとした、ルー状の重い種であり、熱を加えるとふくれるとことからベーニェ・スフレという揚げ菓子がはじまりのようだ。1581年、ドイツのマルクス・ルンポルトという人の書いた製菓書にクラップフェン(krapfen)というお菓子が出てくる。この菓子はルー状の生地を穴のあいた壺に入れ、少しずつ油の中に落として揚げるものと記されている。また、16世紀初め、フランスのアンリ2世に嫁いだイタリアの大富豪メディチ家の令嬢カトリーヌ・ド・メディチ付きの製菓長ポプランが生地を半焼きにし、中身を取り出して詰め物をしたといわれている。

1655年、フランスのフランソワ・ピエール・ド・ラヴァレンヌという人の書いた『パティスィエ・フランソワ(フランスの製菓人)』という本にププラン(poupelin)というお菓子が出てくる。その説明の中で初めてシューの名が現れる。生地に火を通す方法は、オーブンのなかった時代には、熱湯でゆでる方法と熱した油で揚げる方法の2つがあった。1700年代になってオーブンが普及し始めることで今日のように生地を焼く工程が一般化していった。このことから現在のような形になったのは17世紀以降だと考えられる。

◆ 日本への伝来

はっきりとした記録がありませんが、幕末に来日したサミュエル・ピエールというフランス人が横浜で西洋菓子店を営んでいた。この店で売られていたとしてもおかしくはないので幕末には伝来していたと思われる。

◆ 国内での発展

明治3年、政府が重要なレセプションはフランス料理にするという決定をして、当時大膳職だった村上光保がサミュエル・ピエールの店に派遣され、そこで3年間、主に西洋菓子の製法を学び、明治7年に開新堂という西洋菓子専門店を開く。この開新堂と風月堂がほぼ同時に発売したと思われるがはっきりとした記録がない。はじめは外国人や上流階級向けだった。明治37年村井弦齋の『食道楽』には、シュークリーム文字が見え、家庭でもできる作り方が記されている。明治20年代後半からしだいに広まっていったと思われる。シューの中身はカスタードクリームだけでなくホイップクリームなどがある。ごまのクリームの入ったものもある。